玉木宏

人気.実力とのに

トップクラスの俳優が

初めての舞台に挑む思いとは

 

20代初め頃からコンスタントにドラマや映画で活躍し続ける俳優、玉木宏。2013年春、実在した戦場カメラマンを描いた『ホテル マジェスティック~戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛~』で満を持して初舞台を踏む。近年、活動の場をますます広げつつある彼に、これまでの道のりを振り返りつつ、今のスタンスを語ってもらった。

――今回は玉木さんの人となりを改めて知るために、子ども時代のお話から伺いたいと思います。

「団地住まいで周りに同世代の友だちがたくさんいたので、いつも外で遊んでいる子どもでした。団地の真ん中にある公園で野球やサッカーをして、暗くなったら帰る。あとは幼稚園から中学まで、水泳をずっとやっていましたね。小4のときにスイミングスクールの選手になったので、月曜から金曜まで練習があったんです。毎日学校で部活をやって、そのあとスイミングスクールで泳ぐという日々でした」

――部活は何を?

「バスケ部以外は全部やりました。柔道、サッカー、水泳、野球……。相撲部にも入ってました」

――えっ!

「小学校のときは部活の掛け持ちができたので、僕に限らずみんな兼部していたんです。バスケ部だけは、試合の時期が他の部活とかぶっていてうまく組み込めなくて。それから、毎週日曜は小3から中1までボーイスカウトを」

――ストイックな毎日といえばいいのか、とにかくびっしり予定が詰まっていたわけですね。

「でも、中学に上がって間もなく、その生活に飽きてしまったんです。スイミングスクールの先生がスパルタで、毎日すごく怒られるわけですよ。先生が竹刀を持っていて、ターンのたびにその竹刀で背中を叩くんです。それでもう辞めてしまおうと。小6の時にバレーボールのグランドチャンピオンズカップをテレビで見て憧れ、中学でバレー部に入ったこともあって、要は新しいものに目移りをしてしまったわけです。今となってはもう少し水泳を続けておけばよかったな、という後悔もあります」

――水泳で背中を叩かれるよりもバレーに向かったというわけですね。

「ただ、中学のときはそこまで熱中して部活をしていたわけじゃなくて、小学生のころに比べたらゆるめな感じでしたね。遊びたいという意識も芽生えてきたので(笑)」

――高校時代は?

「2か月くらいハンドボール部に所属していましたけど、後はバイトに明け暮れていました。お好み焼き屋さんとコンビニを掛け持ちで」

――いつも空いている時間を埋めるように部活やバイトをしていますね。

「今もそうです。ちょっとでも時間が空いたらボーッとするよりは、何か行動をしてしまうタイプです」

 

――スカウトを受けたのは高校生の頃だそうですね。

「16歳、高2の時でした。もともとテレビがすごく好きで、ドラマや音楽番組をよく見ていたんです。だからこの仕事にも興味がありました。中3のときに見た、『若者のすべて』(1994年)というテレビドラマにすごく影響を受けて、芸能界の仕事をやってみたいとオーディションを受けたんです。いいところまではいったものの『こちらからご連絡しますね』と言われたままずっと連絡がなくて。それから2年後に突然街中でスカウトされたんです。でも、『名古屋でスカウトなんて本当にあるのかな?』と半信半疑でした。卒業までに何度か事務所の社長と会って『あ、本当なんだ』とわかって上京しました(笑)」

――『若者のすべて』のどんなところが胸に響いたのでしょうか?

「青春群像劇なんですよね。いい方向に進む人もいれば、足を踏み外す人もいる。それを見て、中3の僕は初めて『自分は20歳になったらどんな生活をしているんだろう?』って将来について考えたんです。世間を知らない子どもなりに、地元での生活は自分には狭く見えて、東京には絶対に行きたいと思った。俳優になりたいというより、ただそのときは有名になりたい、テレビに出たいという思いでした」

――デビュー後はどんな生活を?

「いざ上京していろんなオーディションに行ってみると、何も経験がないからとにかく仕事が決まらない。何よりもテレビに出たくても出られない人がこんなにもいるんだ、ということがショックでした。いきなり大きな壁が自分の前に立ちはだかった。そこで『演じるってなんだろう?』と初めて考えて、プロの方々が演じる場面を見られる機会があれば見て勉強をするということからはじめたんです」

――当時はアルバイト生活だったわけですよね?

「もちろんです。レストランのウェイターとコンビニ、引越しのバイトを掛け持ち。小さくても役者の仕事が入ったら休まなきゃいけない。でも、バイトに出なければお金が無くなってしまう。そんなときは引越しのバイトをやるんです。日払いなので、とにかくその日を暮らすお金が得られる。そんな日々をしばらく送っていましたね。電気もガスも水道も止められた経験があります(笑)」

――玉木さんといえば、デビュー間もないころから役者として活躍している印象があったので、そんな生活をしていたのは意外です。

「振り返ればいい経験でした。もし役者としてダメになってもその頃の生活に戻ろうと思えば戻れる、もう一回バイトからやればいい、という気持ちはどこかにありますね」

――そんな玉木さんが徐々に役者として経験を重ねていく中で、ご自分でいちばんの転機だと思う作品は何ですか?

「大きく意識が変わったのはやはり映画『ウォーターボーイズ』(2001年)ですね。ずっとオーディションに落ち続ける日々の中で、初めて第5次審査までくぐり抜けて勝ち取った役だったんです。それに、共演者がほぼ同年代で、題材がシンクロナイズドスイミング。自分が好きなようにやって成立するものではない、演技のうえでもみんなとシンクロしていなくてはいけない。撮影中、『お前はダメだ』なんて言葉が飛び交うようなミーティングを何度も重ねて、本気でぶつかりあった。ここに出ていた役者たちは、みんなバイトをしながらこの仕事に賭けているような人が多かった。境遇が似ていることもあって、みんなで同じベクトルを向いてひとつの作品をつくりあげることができたし、それがヒットという結果につながった。作品というのはみんなでつくるものなんだとわかったのがこの一本でした」

 

――今回、『ホテル マジェスティック~戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛~』で初めて舞台に挑戦されます。これも俳優人生では大きな転機になる可能性があると思いますが、舞台の話を最初に聞いたときはどう思われましたか?

「舞台は20代半ば頃からずっとやりたいと思っていたんです。いろんなタイミングが重なって今回ようやくできることになった。とにかくうれしいというのが一番でした」

――舞台をやりたいと思われたきっかけは?

「その頃は、映像作品にも舞台出身の方が参加することがとくに増えた時期だったんです。舞台出身の方々って、映像の場でもメンタル面がすごく強い。撮影の合間に聞く舞台の話も興味深かったし、そういう方々から『一度は経験してみるといいよ』なんてよく言われたりもしたので」

――ベトナム戦争を撮影し、ピュリツァー賞を受賞した戦場カメラマンの澤田教一さんという実在された方の人生を演じることになりますが、どんな心構えをされていますか?

「戦場カメラマンというとかなりシリアスなイメージをもたれる方もいるかもしれませんが、それよりも澤田さんの人間らしさを表現できればと思っています。資料を読む限り、澤田さん自身、最初からカメラの腕が飛びぬけてうまかったり、完璧な人というわけではなかったんです。ピュリツァー賞をもらい評価されていく中で『これじゃダメだ』と自分が変わっていったような方なんですよね。そういう人間くささが出せればいいなと今の時点では思っています」

――澤田さんが撮られた写真を見てどんな感想を持ちましたか?

「戦場カメラマンの方って、撮った後はどうしてるんだろう? といつも気になっていたんです。澤田さんの代表作である『安全への逃避』という写真は家族が川を渡りながら逃げ惑っている姿を捉えたものですが、これを撮った後、澤田さんはやはりこの家族を助けたそうなんです。そういう人間性があるからこそ撮れるものなのかもしれないと思う。それと、僕も澤田さんが使っていたのと同じメーカーのカメラを持っているんですが、このカメラは風景を撮ることはできても、動きを撮るのはすごく難しいんです。フォーカスの合わせ方が独特で、ピントが合っているかどうかがわかりにくいんです。そんなカメラでこれだけ躍動感のある人間の姿を撮れるのはやはりすごいな、と思いますね」

――そこに気づくのはカメラを趣味とされている玉木さんならではですね。撮影することについて、澤田さんに共感できる部分というのはありますか?

「僕も一度、カメラマンとしての仕事をいただいたことがあったんです。南アフリカで野生動物を撮ったんですが、ファインダーを覗いていると対象物との距離感がつかめなくなってきて、どんどん前に行こうとしてしまうんです。ただ、戦場では命の危険が伴うのに、それでも最前線に行ってしまう気持ちというのはまだ到底測りきれない部分ですね。本番までに少しでも探っていければと思っています」

――玉木さん自身は「写真を撮る」という行為について、どんな思いを持っていますか?

「基本的には、ただきれいなものを見たら自分のカメラに収めたいという気持ちで写真を撮っていたんですが、たまたまお仕事としてオファーをいただいたときに初めて『テーマに合わせて撮る』ということをしたんです。それによってすごく上達した気がした一方で、難しさも感じました。そこに在る物語を一枚の静止画で伝えるというのはなかなかできることではない、奥が深いものですね。また仕事として撮りたいので、オファーを待っています(笑)」

 

 

 

 

――趣味での撮影は景色中心ですか?

「もともと景色ばかりを撮っていたんですが、写真集や写真展で人を写した写真に触れて、『この表情がいいな』と思うことも多くあって、最近は子どもや親子連れを撮ることにもチャレンジしています。初対面の人に声をかけて撮るのは難しいですけど」

――街で声をかけたとき、「玉木宏だ!」と逆に撮られたりしませんか?

「大丈夫そうな人に声をかけているので、今のところはないですね。もしかしたら、“撮るなよオーラ”を出しているのかもしれませんけど(笑)」

――今回、澤田さんという人を演じるにあたって特別になにか準備をしていることはありますか?

「今のところは現時点での脚本を読んだり、文献や資料を読んでいるくらいですね。実在の人物を演じるときはいつもそうなんですが、可能であれば近しい方に直接お会いして話を聞いています。今回も番組の撮影で澤田さんの奥様にお話を伺えるので、それが楽しみです」

――近しい方のお話を聞いて、演じるときに直接使えることというのは、それほど多くはないですよね? それでも聞くのは本人の思いに触れることが何か役づくりの助けになるということでしょうか?

「それもあるし、最終的には自分の気持ちを追い込むという部分が大きいですね。ご遺族の方が見てくださっているんだから、ちゃんとやり遂げなくてはいけないという思いが芽生えるんです」

――役に挑む姿勢に影響があるということですね。では、この舞台に限らず、ふだんはどんなプロセスで役づくりをされるんですか?

「基本的には脚本を読んで“こんな人なのかな”と想像したりはしますが、実際に相手役の方々と芝居をやってみないとわからないですね。僕はいつも撮影に臨むとき、だいたい6割くらい自分のやりたいこと、やれると思っていることを用意していくんです。4割くらいを空けておかないと、監督やスタッフに言われたことにすぐ対応できなくなってしまうので。今回の舞台もそんな形で臨もうと思っています」

――映像は稽古期間がない分、自分でつくりあげる部分が大きいというわけではないんですね。

「やっぱり相手の方の出方もありますし、演出によっても印象は全く変わってくる。それはひとりでは想像しきれない部分なんです。たとえば最近まで撮影していた『結婚しない』というドラマでは、役の情けない性格を強調するために下からのアングルが多い。上からだと上目使いで強い印象になってしまうので。そんなアングルによっても演技は変わってくるんです」

 

――それは現場で対応していくわけですね。

「そうです。演出家の方に言われたことに瞬時に対応するというのは、もしかしたら舞台で活かせる部分かもしれないですね」

――こうやってお話を伺っていると、初舞台に対する緊張や不安があまり感じられなくて、すごくタフな印象を受けます。それは映像で品を重ねてきた自信からくるんでしょうか?

「自信はね、あまりないです、ずっと。今までこれをやってきたから大丈夫、という思いもない。ただ、頭で考えるより体が覚えていたりするので、不安はそんなにないんです。いつも、新しいものに対しては新しい気持ちで取り組んでいければという思いです。

――舞台では、東京公演のほか大阪と地元の名古屋にも行かれますね。

「昔、『ウォーターボーイズ』の舞台挨拶で名古屋に行ったら、一番前の列が全員親戚だったんです。今回の舞台では、それだけは避けたいなと思っています(笑)」

――それはやりにくそうですね(笑)。新しいといえば、玉木さんは最近、次々と新たなチャレンジをされている印象を受けます。今回の舞台もそうですが、料理番組『アイアンシェフ』の主宰に就任されたのには驚きました。

「かつての人気番組である『料理の鉄人』が『アイアンシェフ』としてリメイクされると聞いて、鹿賀丈史さんがなさっていた主宰は誰がやるんだろう? と思っていたら声をかけていただいたんです。びっくりしましたが、リメイクでありつつも新たな番組としてやっていくという意気込みをスタッフの方から聞いて、ぜひやりたいと思いました。ライブっぽい空気に最初は戸惑いましたけど、だんだん楽しくなってきていますね。大晦日に生放送が控えているんです。長時間の生放送を進行するのは大きなチャレンジですが、きっとこの経験は舞台にも生きるんじゃないかなと思います」

――大きなチャレンジが続きますが、玉木さんは作品ごとに目標を設定するタイプですか?

「考えなくはないですが、あまり考えすぎても独りよがりになってしまう。基本的にはいつも今までのイメージを壊したいという思いを頭のどこかに持っている、くらいの感じです」

――大きいヒット作品に出ると、その印象を世間が引きずってしまうということがありますよね。

「それは最近感じますね。役で見られるというのはすごくうれしいことなんです。それを望んで一生懸命演じているわけですから。でも、その作品はいつか終わってしまう。もう別の作品をやっていてもたとえば街で『千秋先輩だ!』と声をかけられると、うれしい反面複雑な思いもあります。だからこそイメージを常に壊していかなくちゃならない。その繰り返しです。そういう意識をもってさえいれば、自然に変わっていくものだと信じています」

――俳優として、最終的に目指す方向性は?

「生涯現役というのが、美しい形だと僕は思っているんです。男の美学というか。定年のない仕事ですから、日々いろんな経験を重ねて、人としての年輪が自然に演技に表れるようになればいいなと思います」

――今回舞台で演じる澤田さんは、34歳の若さで亡くなっていますね。

「そうなんですよね。でも『安全への逃避』という写真は世に残っていまだにたくさんの人に知られていますが、僕も将来『この作品がよかったね』といっていただけるものを、一生をかけて少しでも残せたらなと思います」

 

スタイリスト:上野健太郎
ヘアメイク:渡部幸也(ELLA)

【衣裳協力】
NEPENTHESTEL:03-3400-7227

 

 

 

 

先放一下~~~翻譯會盡快扔上來的

我學乖了~不先放~那天又不見了XD   

 

 

文章出處 http://www.pia.co.jp/konohito/tamaki_hiroshi/index.php

 

中文翻譯如下:

 

玉木宏

 

人氣與實力並具

頂尖的男演員

初次挑戰舞台劇的想法是.......

 

 

20幾歲時就開始不斷地活躍在電視圈與電影圈的男優-玉木宏

2013年的春天,投入了由真人真事改編之舞台劇【大華飯店~戰場攝影師-澤田教一其人生與愛~】正抱持著充份的準備,踏出參與舞台劇的第一步

近幾年,不斷積極拓寬事業範圍的他,一面回顧從以前到現在所經歷的心路歷程,亦談到了目前的身處的姿態

 

 

--這次呢,想重新認識玉木你這個人,所以我想我們就從你的孩童時代開始聊起吧

小時候是住在住宅區,周遭也有許多同年齡的朋友,所以孩提時代是個一直在外面遊玩的小孩。

在住宅區的中間,有個公園,會在那裡跟朋友玩棒球與足球,直到天完全黑了才會回家。

還有從幼稚園到國中,一直在游泳,小學四年級的時候成為游泳校隊的選手,從星期一到星期五,不斷的練習,每天在學校都是先參加社團活動,然後再去游泳校隊練習游泳,每天都是這樣

 

--社團活動有那些項目呢?

除了籃球社以外,全部的社團都曾參加過

柔道、足球、游泳、棒球等等....我連相撲社都曾參加過

 

--...?!

小學的時候因為多個社團都可以兼著參加,所以我什麼社團都兼著參加。除了籃球隊,在試參加的時候與其他社團的時間撞在一起,所以無法被編入籃球社。然後,從小學三年級到國中一年級星期日我都會去參加童子軍的活動

 

--像這樣每天過著嚴苛的生活真的好嗎?不管怎麼說,每天都是密密麻麻的預定行程吧

不過,升上國中後不久,就對那樣的生活感到厭煩了,國中游泳校隊的指導老師偏好斯巴達式教育,每天都是很怒氣沖沖的樣子。老師會手拿著竹刀,在練習的每個回合,都會用那把竹刀敲打我的背,因為這樣所以才沒有繼續參加游泳校隊

在小學6年級的時候,因為看到電視轉播的排球總冠軍賽而對排球產生憧憬,所以國中的時候因而加入排球隊,總之,在面對新事物的時候,總是會被轉移目光。現在對我而言,如果那時有游泳有持續下去就好了。像這樣後悔的念頭也曾有過。

 

--總而言之,就是因為游泳時那把竹刀敲你的背,導致你轉往排球發展了吧

 

只是,國中的時候,並沒有那麼熱衷社團活動,跟小學時期相比,感覺比較想放鬆一下。也許是只想玩樂的意識萌芽了吧!()

 

--高中時代呢

大約有二個月的時間有參加手球社,後期則開始過著打工的生活,有同時在煎餅店還有便利商店打工的情形

 

--空閒的時間一直都是投入打工與社團活中呢

其實現在也是一樣,只要一有空閒的時間,在閒得發慌前,也是會一直想去找些事情來做的類型吧

--被星探挖掘時也是高中的時候吧

是在16,是高二的時候。本來就很喜歡看電視,不管是連續劇還是音樂節目都會認真的收看。所以對這個工作還蠻有興趣的,國中三年級時,看到電視上演出的連續劇【青春無悔】(1994),受這部連續劇很大的影響,因為想從事演藝圈的工作而去參加試鏡,不過總是得到會再跟你連絡這種回音應,卻一直沒有連絡。在這之後過了2,在一次逛街時突然遇到星探。不過, 『在名古屋遇到的星探發掘,真的會有這樣的事嗎?』像這樣會一直半信半疑。高中畢業後,數次與事務所的社長見面了, 才知道『阿~是真的耶』之後就上東京了。

――『青春無悔』對你有什麼樣的影響,在你的心中有留下什麼迴響嗎?

是一部青春偶像對吧,有朝好的方向前進的人,腳步踏錯方向的人也有。看著這部戲,對於國中三年級的我,『自己到了20歲時,究竟想過著怎樣的生活?』像這樣第一次去思考未來的日子。對一個未曾見過世面的孩子而言,在家鄉的生活,會讓自己看來很狹隘,那時就想,絕對要去東京。與其說想成為演員,那時候的自己更想成為出現在電視上的名人。

──出道後過著什麼樣的生活?
急著上東京後,就是一連串的試鏡,就因為沒有任何經驗,不管怎樣工作都無法決定。許多想出現在電視上的人,卻怎麼也無法出現,像這樣的人多得是, 很驚訝事實是這樣。突然之間,覺得有一面很大的牆壁矗立在自己面前。那時第一次思考著『演戲到底是什麼呢?

然後,只要一有機會可以觀看其他專業演員演出的場景,就會認真的觀看並學習,從這開始,認真地走出了演員的第一步。

--那時一直都是打工的生活對吧

當然了。餐廳的服務生、還有便利商店、搬家公司三份兼差。有時會接到一些很小的演員工作機會,連休息時間都沒有。不過,如果沒有去打工的話,身上就會沒有錢。所以就會去搬家公司打工,因為是領日薪,反正先將當天的生活費弄到了再說,先暫時這樣度日子吧,也有過斷水斷電斷瓦斯的經驗()

──這麼說來,玉木你從出道時一個工作也沒有到目前工作滿檔的情況,曾經有過那樣的生活經驗倒是挺讓人意外的。

是那種“現在回頭看看也是個不錯的經驗”。如果無論如何都無法成為演員的話,到那時生活也是跟以前一樣吧,再一次去打工也沒關係,這種心情無論到那裡都會抱持著。

 

——那樣的你,在慢慢地累積演員的經驗中,覺得那部作品是你演員生涯中最大轉機?

「開始意識有很大的不同,果然是還是電影『水男孩』(2001)吧。在不停參加試鏡又不停落選的日子中,第一次通過5次的審查而獲得一個角色的演出。而且,共同演出的演員幾乎是同年齡層,電影題材又是水上芭蕾。如果不是自己喜歡的,其實是無法完整的演出,在展現演技之前,如果大家沒有一起練習到動作一致是不行的。拍攝時,『你這樣完全不行!!』在會議中反覆不停的被人家這樣說著,那真的是很大的打擊。參與演出的演員們,每個人都放棄去打工而將一切賭在拍攝這部電影上。也因為境遇相似,所以大家會同心協力的朝同一個方向努力,去完成一個了不起的作品,這對這部電影最後呈現的結果來說是很重要的一點。一部作品的好與壞,完全是要靠眾人努力才能呈現出好的作品,這部電影讓我了解到這一點。

 

--這次,參與舞台劇『大華飯店~戰地攝影師澤田教一其人生與愛~』的演出,是初次挑戰舞台劇吧。這可能也是你演員生涯中另一個很大的轉機也說不定喔,說說你第一次聽到自己要參與舞台劇的想法是什麼?

其實在20幾歲的時候就一直想參與舞台劇的演出。但是時間總是不湊巧,直到這一次終於可以參與舞台劇的演出,反正就覺得超級開心的!

 

――一般認為,舞台劇最想做的契機是?

這個時期,許多製作舞台劇出身的成員開始大量投入影像作品的製作。對於舞台劇出身的許多人而言,即使是拍攝影像,心理層面的表現也是非常強烈。有時在拍攝空檔時也會跟其他人聊到關於舞台劇的一些有趣的經驗。從那些人的口中聽到『一次也好,試著去做做看吧』被人建議了很多次喔

 

--因拍攝越戰的一幅照片而獲得普立茲獎的戰地攝影師-澤田教一先生,像這樣去詮釋一個實際存在的人,對於詮釋他的人生,有自己私下去思考要怎麼詮釋嗎?

 

 

以戰場攝影師來說,是會給人相當認真的印象也說不定,但在這個前提之下,會去揣摩該怎麼詮釋出澤田先生這個人,會針對這點去思考。只要閱讀過相關資料,就知道澤田先生自己本身,從最初就很擅長運鏡,但並非是完美的人,就算獲得普立茲獎這樣好的評價,這其中,『僅僅是這樣還是不行』會因為這樣的深思而去改變自己,澤田先生就是這樣的一個人,,我想,像他這樣的人如果能出現在現在這個時機點就好了,

 

 

--看了澤田先生拍攝的照片後,有什麼感想嗎?

 

對戰地攝影師來說,拍攝當下的照片之後會怎麼做?這一點讓我特別在意。澤田先生的代表作『逃往安全處』,這張相片是拍攝一個家族一邊渡過河川,一邊胡亂逃亡的姿態,補捉到那一瞬間的畫面,在拍攝完之後,澤田先生果然是有去幫助那個逃亡的家族,我想這樣的人性是照相機所無法拍攝的。還有,我與澤田先生使用同一個廠牌的相機,這個廠牌的相機在拍攝風景是還蠻順手的,但在拍攝動態畫面是,操作上是有相當困難度。對焦的方式非常的獨特。有時在拍攝時對焦距的掌控度,在操作上很不容易。我覺得以這樣有困難操作方式的相機,所拍攝出這樣有躍動感的畫面,也拍攝到人們活靈活現的姿態,真的是很不得了。

 

--在這之前,你就對攝影感到興趣對吧,那麼,關於攝影,你覺得會有與澤田先生相同感受的部分嗎?

 

我也曾經有擔任過攝影師的工作,到南非去拍攝動物,在拍攝時,從視窗看著被拍的動物,變得有點抓不到那種距離感而不停的往拍攝標的走去。只是說,在戰場是命懸一線的事,伴隨著相當的危險,是抱著什麼樣的心情而前往到戰場的最前線,這部分的心路歷程還是很難為外人所知,希望在正式演出前,可以找到一些什麼也好。

 

——你自己本身對於「拍照片」這樣的行為,有著什麼樣的想法?

一開始,只是想說眼睛所見的美景,將其收錄在自己的相機中,是這樣的心態。不過,當偶然去接到了攝影的工作,一開始就只想著『配合主題而拍攝』。在這個前提之下,雖說一直想要完美的完成工作,但還是覺得有難度。是說,以一張靜止的照片,去述說照片中的故事,也不是件簡單的事,是件很深奧的事呢。如果有在接觸到攝影的工作,我會等待更好的報償的(笑)。

--做為興趣的攝影,是不是以拍攝風景為中心呢?

其實原本就是一直拍大量的風景照,不過,在拍攝寫真集與開寫真展時與來觀展的人們接觸,開始覺得『這個表情還真不錯呢?』像這種想法開始多了起來。最近也開始挑戰親子照了喔。不過,對於陌生人,要開口跟對方說"請讓我拍照",也是件很困難的事。

 

--如果你在街上出聲,說要拍照,對方要是喊出「玉木宏!」這樣反而不是會被拍照嗎??

 

那就針對那種看起來不會有太大反應的人去詢問是否願意被拍照,不過現在這種經驗並沒有耶,還是該說,我的拍攝魂還沒出現呢?()

 

--這次在針對演出澤田先生這個角色時,有特別做什麼準備嗎?

現在這個時間點幾乎都是在閱讀劇本,同時也會閱讀大量相關的文獻以及資料,在演出真實人物的時候,我一直都是這樣做的,可能的話,我希望可以與這樣的真實人物來面對面直接說話。這一次,也是因為節目要拍攝,我有機會可以與澤田先生的妻子對話,我很期待喲。

 

--如果可以面對面的談話,這樣的經驗在實際演出時就可以運用上了吧。這種狀況,有時並不是那麼多的吧。就算如起,可以與劇中人物直接接觸,像這樣,對於在演出的時候有什麼樣的幫助嗎?

 

是有幫助的,最後,自己還是會抱持著想要迎頭趕上的心情在演出呢。就因為澤田先生的親人也會來觀賞這部作品,如果不好好地詮釋演出是不行的,像這樣的想法會不斷的萌芽

 

 

-- 影像是沒有培訓時間的吧,大多都是自己摸索的對吧。應該是這樣說的吧?

我想果然還是要跟共演的人一同透過演出,激盪出不同的火花,這就會令人有完全不一樣的感受吧。這是一個人無法想像的部份。像是最近在拍攝的連續劇『結婚不結婚』,演出的角色是一個比較不會顯露情緒的人,所以視線往下看的習慣變多了,因為如果視線往上揚,會給人看起來十分強勢的感覺,從視線的角度,去改變演繹的方式。


--那是在現場所培養出的臨場反應對吧。

是的,依據導演給的指示去做出各式各樣的瞬間反應,也許這是舞台上,演技可以如此栩栩如生的要素吧

--像這樣與你對談過後,不會感覺到你是初次投入舞台劇的拍攝那種緊張與不安感,給人一種很堅強的印象。那是因為經過無數作品的粹煉,所建立起的自信心嗎?

自信心嘛....?其實沒什麼自信耶。不會因為從以往都現在都是做同樣的事就會覺得沒問題。只是說,在開始思考之前,身體會先自然地做出反應,因為這樣,所以不太會感到不安。一直以來,我都是以嶄新的心情,迎接新的挑戰,我想這樣可以更專心致力的去思考。

--舞台劇,除了東京有公演外,其他如大阪還有你的故鄉名古屋都有公演嘛。

以前,電影『水男孩』有在名古屋舉辦首映會,結果第一排坐的觀眾都是我的親朋好友,希望這次舞台劇在名古屋的公演,可以避開這樣的情況(笑)。

--那應該很難吧(笑)。說到的事物,你給人的印象就是一直在挑戰新事物,像這次的舞台劇是一例,擔任料理節目『Iron Chef』的主宰真的讓我好訝異呢。

聽說是以前的人氣料理節目『鐵人料理』新一季以『Iron Chef』為名重新製作,之前的主宰是鹿丈賀史先生,重新命名後又是那一位接替主宰呢?像這樣的聲音不斷的被反映時,卻得知自己是新一任的主宰,其實也是很訝異的。

在這個新節目製作時就想,無論如何都要去接受這個挑戰,以這樣的幹勁去面對新的節目。在節目直播時,現場的氣氛從一開始的躊躇,到漸漸地樂在其中了。
在除夕夜當晚的節目直播時,像這樣長時間進行現場轉播,也是個很大的挑戰,我想,這樣的經驗,在演出舞台劇時,也一定會有類似的吧。

--像這樣不斷的迎接大挑戰,你對於自己的作品,是會設定目標類那種類型的人嗎?

完全不考慮嗎......?但是想太多,最終也只是自得其樂吧。基本上,一直都是想要推翻以往給人的印象,腦中的某處,多少都會抱持著這樣的想法。

--如果有超人氣的作品出現,在這之後給人的印象,就會一直是那個形象對嗎?

這部分最近感受還蠻深的。自己的演技被人認同,是一件非常值得開心的事,就因為追求這樣的認同感,所以每次都盡全力去演出。但是,無論是那部作品,最後都會畫下句點。像是演出交響情人夢後,每次在街上,就會聽到別人對我大叫『是千秋學長!』像這樣有點開心,卻又深怕被定型的,心情很複雜。就因為如此,我常會希望推翻自己給人的那種既定印象。經過這樣無數次的挑戰,自然而然會蛻變,無論什麼時候,我都是這麼深信著。

--身為演員,你覺得最終的目標該定在什麼方向呢?

我想一生都希望可以詮釋美好的作品吧。這樣該說是男人的美學嗎?就因為這份工作沒有退休年齡可言,日復一日,不斷地累積經驗,人終究會像年輪般地,自然而然表現出老練的演技,如果可以這樣就好了。

--這一次透過舞台劇演出的澤田先生,在34歲時英年早逝,對吧?

是啊,但是他的作品『逃向安全的地方』以照片的方式流存在世人的心中,是為人所知的知名作品。如果未來某一天,我能夠呈現出一部作品,會讓我自己認為『能夠參與這部作品真的是太好了』。那麼我想,我這一生,並沒有白走這一遭吧。

 

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終於完成了

我真的有那種跑馬拉松的感覺

不過越翻譯就越覺得他的有些想法跟觀念很不錯

玉木就像美酒一樣

會越陳越香啊

 

所以就更期待他迎接新的挑戰

舞台劇的演出~超期待的喲~~~~

 

 

 

是說這次很多都是抓破頭翻譯出來的

如有錯誤~歡迎指正

(hayashi不負責任翻譯)

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