玉木宏インタビュー 愛する人がいるから命を賭けられるのだと思います。

 
 
 

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玉木宏インタビュー ホテル マジェスティック ~戦場カメラマン澤田教一 その人生と愛~

インタビュー:気になるあの人の、仕事のこと、プライベートタイムのこと。INTERVIEW
 

数々のヒットドラマ、映画に出演してきた今をときめく人気俳優が、デビュー15年目にして舞台に挑戦することになった。演じるのは戦場カメラマン・澤田教一。趣味は「カメラ」と公言する彼が伝説のカメラマンの生き様、死に様に見たものは何か――。

15年目の初舞台

──今回の『ホテル マジェスティック』が初舞台とは少し意外でした。

ずっと出たいとは思っていたんです。20代半ばごろから、同世代の俳優仲間が舞台に出ることが増えたんですが、彼らの話を聞くととても楽しそうだったんです。ナマの現場では、映像とはまた違った緊張感やチームワークが生まれる。そこで得られるものは大きいだろうと想像していました。実際、彼らの舞台を観に行って、終演後に楽屋で会うと、ヘロヘロなんだけれど清々しい、とてもいい顔をしていた。自分も早めに経験したいなと思っていたのですが、タイミングを探っていたら今になってしまったという感じです。

──『ホテル マジェスティック』に出演しようと思われたのは?

映像でも同じことですが、見てくださる方に対してしっかりしたメッセージやテーマがあること。僕自身、そういう作品が好きだし、『ホテル マジェスティック』にはそれがあると感じました。
戦場カメラマンを取材したドキュメンタリーを見たとき、なぜ彼らが命の危険を冒してまで戦場を撮るのか、理解しきれないものがあったんです。でも今回の脚本を読んで、戦場と、それ以外のところにいる人たちをつなぐのが戦場カメラマンなのだと実感しました。戦争を引き起こしているのは人間。そのことを平和に暮らしている人たちにも知らせなければならない。戦場カメラマンにだって生活があり家族もいる。でも、愛するものがいるから前へ進む。使命感や正義とはそういうものなんだと知りました。

──今回演じられる戦場カメラマン・澤田教一さんはどのような人物だと感じられましたか?

奥様のサタさんにお目にかかったんですが、とても素敵な方で、彼女が語る澤田さんがまたとてもチャーミングな人でした。
サタさんのほうが十一歳年上で、最初はサタさんを養うため、そして自分が有名になりたという野心から澤田さんはベトナムに渡ったんです。けれど、次第にベトナムの現実を伝えなければという使命に駆られていく。自分のためではないんですよね、人のため。だから命を賭けられる。澤田さんは川を逃げる家族を撮った『安全への逃避』でピュリツァー賞を受賞しますが、賞金は被写体になった家族に渡しているんです。自分が撮影した現実に対してもきちんと責任をとる。逆に言えば、心がすごくきれいであたたかい人だったから、ああいう写真が撮れたのかもしれまぜん。

 
玉木宏インタビュー

何が起きるかわからない

──初日まで間もなくですが、稽古場はいかがですか?

映像の場合だと、リハーサル、即、撮影という感じなので、瞬発力で対応していかなければならないのですが、それに比べると舞台は稽古時間が長いので、何度でも同じくだりを試せる。それがすごく楽しいです。ただ、もちろん映像にはない厳しさもあって。演出の星田さんは「せっかちな人だよ」とは聞いていたんですが、本読みの翌日すぐに立ち稽古というせっかちさで(笑)。初めてだからこんなにきついのかなと思ったんですが、舞台経験豊富な共演者の方々も「いや、これはきついでしょう」とおっしゃっていたので、少し安心しました。

──初舞台で気になっていること、心配事はありますか?

とにかくすべてがナマですから、何が起きるかわからない。そのときにきちんと対応できるようでいなければとは思っています。
舞台転換をスピーディーにしようということで装置がかなりシンプルなんです。それをアンサンブルの方が動かしたりするんですが、うっかりすると僕ひとり取り残されかねない。それから小道具。カメラを忘れて出てしまったらと思うと、少し胃が痛くなります。スタッフと「そのときはエアカメラだね」なんて冗談を言い合っていますが、笑い話で済むようにしないと。

──澤田教一さんは青森出身。玉木さんの美声で津軽弁が聞けるのでしょうか。

台詞の多くは津軽弁です。そのイントネーションとも格闘中ですが、津軽の言葉は温かみがあるので、澤田さんの人間性がより伝わるんじゃないでしょうか。(澤田さんの奥さんである)サタさんとのやりとりとかね、いい感じになると思います。
サタさんから直接うかがったことで印象的だったのが、澤田さんが戦場に出かけてくとき、決して「気をつけて」と言わないと決めていたという話でした。見送る方としては、言ったほうが楽な言葉ですよね。でも、出かけていく当人が一番よくわかっていることなのだから、あえては言わない。残される人の強さ、優しさだなと思いました。

 

玉木宏インタビュー

写真の魔力

──玉木さん自身の趣味がカメラ。被写体はどのようなものが多いのですか?

最初は風景が多かったんですが、最近は人物も撮るようになりました。人間を撮るには、まずコミュニケーションが必要だと思うんです。勝手に撮るのは失礼だし、自分が撮られる場合も、コミュニケーションがとれるカメラマンの方とだと、自然にいい表情を出せる気がしていたので。でも見ず知らずの方に話しかけてということがなかなかできなかった。最近、ようやくですよね、それができるようになったのは。といっても、風景の中の人物。日常を切り取った一枚という感じですが。

──カメラのどのようなところに惹かれるのでしょうか。

最初に買ったのは「ローライフレックス」というレンズが縦に二つついた箱型のカメラでした。面白い形だなと、最初は物として惹かれたんです。カメラなので、飾っているだけではと思い使ってみたのですが難しくて全然うまく撮れない。それで少し扱いやすい一眼レフを手に入れて、そこからハマりました。楽しいですよ。ただ思った通りに撮れないことも多くて、じゃあどうすればいいんだと、それでまたハマっていくという感じでしょうか。
写真は瞬間を切り取るものなので、想像力を掻き立てるものがあると思うんです。その前後や見えない部分、匂いなどを想像してみたくなる。イマジネーションのきっかけというのかな。だから何度でも繰り返して見られるし、ずっと立ち止まって見ていることもできるのではないでしょうか。

──ベトナムでも写真を撮られて、劇場ロビーに展示されるとか。

今回の出演が決まってから番組の撮影でベトナムに行ったのですが、そこで撮った写真を展示することになりました。
澤田さんがいた時代とは違って、銃声も悲鳴もないベトナムの風景ですが、サタさんから澤田さんが「いつか平和なベトナムが撮りたい」とおっしゃっていたとうかがったんです。少しでもその気持ちに近づけたらと思いながら、シャッターを押しました。
そういえば、澤田さんが初めて手にしたカメラもサタさんから借りたローライフレックスだったそうなんです。偶然だけれど、そんなささやかな縁も励みになっています。

取材・文:矢口由紀子/写真:小島由起夫/メイク:渡辺幸也(ELLA)/スタイリスト:尾辻ますみ

 

 

 

 

 
 
中文翻譯如下:
 
 

演出過許多膾炙人口的連續劇、超人氣電影的人氣男演員,在出道15年後,

初次挑戰舞台劇。演出的是"戰地記者--澤田教一。

曾公開發表"拍攝"是自己的興趣的他,這次將詮釋傳說中的記者,

其傳奇的一生與臨死之際眼中所看到的,究竟是什麼?

15年來的初次舞台劇演出

---這次會參與演出"大華飯店"的舞台劇演出,其實讓人有些意外呢。
其實一直都有想要演出舞台劇的。

從25歲過後,有一些同年齡的演員朋友增加了許多參與舞台劇演出的機會,

從他們的口中聽到演出舞台劇的話題,看起來好像很開心的樣子。

畢竟舞台劇是現場直接演出,與影像截然不同的緊張感與團隊合作的產生。

在我的想像中,從舞台劇的演出經驗中,應該可以獲得很多的心得吧。

實際上,在看完朋友演出的舞台劇後,在最終場演出結束後去後台跟朋友碰面,

看到朋友雖然因為耗盡力氣去演出後看來疲憊不堪卻又興高采烈的,

那種如釋重負的表情,就會讓我覺得也很想早點有那樣的經驗,

但是一直在找尋適當時機,直到現在終於有機會演出的感覺。

---"大華飯店",有打算要怎麼演出嗎?


對於來觀看的各位,想要傳達給大家的訊息,

那種心情其實與影像作品是相同的,

我自己本身就很喜歡這樣的作品,我想這部舞台劇就給人這樣的感覺
在觀看戰地記採訪的紀錄片時,為什麼要冒著生命危險到戰地去採訪,

像這樣讓人無法理解的事,有了某種程度的瞭解。

但在閱讀過這次舞台劇的劇本後,發現到無論是戰場,

或是在這之外的某處的人們,其生命是息息相關的,

對於戰地記者的身份會更有實感。

對於戰地記者來說,放棄平和的生活與遠離家人前往戰地,

是因為人們引發了戰爭,不將戰地的實際情況傳達給生活在和平之地的人們是不行的。

但是,因為有深愛的人事物,將使他有繼續前進的動力,

也會更明白所謂的使命感與正義,其實就是這樣的事。

---這次所演出的戰地記者--澤田教一先生,你覺得他是個什麼樣的人呢?


我有與澤田先生的太太--SATA女士見過面了,她說澤田先生是非常有魅力的人。

從SATA女士年長他11歲,最初與她共結連理,

之後為了自己能更出名的野心的澤田先生,不惜遠赴越南,。

但是,最後還是被"不將越南的現實面貌傳達給外界不行"的使命感給驅使。

不為了自己,而是為了別人,所以他賭上自己的性命。

澤田先生在看到渡河逃往安全地方的家族,並拍下名為"逃向安全地方"的照片,

不但獲得了普立茲獎,他也將獎金交付給照片中的那家人。

對於自己拍攝的現實,當然要對此負責任。

但反過來說,那也是因為他是一個有著溫暖、美麗心靈的人,所以才能拍出這樣動人的相片。

契機是什麼並不清楚


---馬上就要公開演出了,排演場如何呢?


先綵排,然後馬上拍攝,在拍攝影片的現場是這樣的感覺吧,

所以,不馬上臨場做出反應是不行的。

而且比較的話,舞台劇因為練習時間長,一個場景會作出很多遍的排演,

那也是挺有趣的。

只是,當然也有拍攝影片時所沒有的嚴謹點。

有聽說導演星田女士是個"急性子的人",

在看完劇本後的隔天馬上就定位開始排演(笑)。

會想説是因為我第一次參與演出,所以才會覺得很緊湊嗎?

但經驗豐富的共演者也說過「不,這個十分緊湊」,才讓我多少些放心。

 

---因為是初次參與舞台劇演出,要注意的事也很多,有什麼事會讓你擔心嗎???

不管怎麼說,舞台劇是全劇現場演出,到時會發生什麼事也說不準,

到那個時候,不隨機應變也不行吧。

舞台場景轉換的裝置相當的簡易,那麼一來,工作人員就會動作非常快,

一個不留神,就會只剩下我在現場,而舞台場景已經整個變動。

然後還有小道劇。想說搞不好會忘記相機也說不定,

因為擔心這件事而會覺得胃有點痛。會和工作人員互相開玩笑說

「如果這樣,那時就當作是拿空氣相機好了」,會用這樣輕鬆的方式一筆帶過。

 

 

----澤田教一先生是青森出身的,這次可以聽到你那優美的聲音說出津輕方言了呢

 

很多台詞都是津輕方言,目前正在與那個語調奮鬥中。

不過,津輕的言詞是比較溫和的,

也有可能是因為澤田先生生性就是一位不擅於傳達的人

(澤田先生的妻子也是如此),我覺得與這樣的SATA女士互動,是很不錯的事。

 由於實際與SATA女士直接接觸過,她給我的印象深刻。

當澤田先生決定去戰場時,據說她當時決定,絕對不跟丈夫說「小心點」。

在與丈夫送別時,原本應該說一些輕鬆的話語。

但是,就因為太過於瞭解要出遠門的那個人了,所以才無法說出口。

我想,這也顯現出SATA女士內心堅強與和善吧。

 

相片的魅力

 

---你自己的本身對拍攝很有興趣,比較常拍攝那些主題?

一開始常拍風景的部分,最近倒是拍攝了許多人的相片。

拍攝人物的先決要件,與被拍攝人的交流是很重要的,

如果擅自就去拍攝是很失禮的事。我自己在被拍攝的時候,

如果有好好地與攝影師交流的話,在被拍攝時,就能自然而然地做出不錯的表情。

但如果是素不相識的攝影師的話,感覺好像就有點搭不上話。

不過,最近總算拍攝拍得比較上手了。

不過,拍攝風景中的人物,感覺就好像是從日常生活中擷取下一幅畫面的感覺。

 

 ---- 被相機的什麼特點給吸引的呢?
最初買的相機是「Rolleiflex」的相機,它是直立式的二個鏡頭的箱型相機,

很有趣的造型,一開始是被它的造型給吸引,

可又不想只是放在架上當裝飾品,而開始試著去照相,

但完全不是很好上手,因此又買了一台稍微好用一點的單眼反光式相機,

從此就開始熱衷了,也覺得挺有意思的。

不只是因為想拍而去拍的情況居多,有時也會思考該怎麼拍會比較好,

這樣是又沉溺其中的感覺嗎?

我想,因為想像力的激發而有想拍攝的事物,但在按下快門的那個瞬間,

在這之前或之後所看不見的部份,反而會有更多的想像空間。

可能這就是想像力去引發的契機,所以才會不停重覆地去做,一直站立不動的話,

看得見的事物也會變得看不見吧。

 

 

---去越南所拍攝的照片,將在劇場大廳展示對吧
決定這次的演出後,就跟著節目一同到越南去拍攝,

在那裡所拍的照片,會展示出來。

與澤田先生身處的時代不同,聽不見槍聲與悲鳴聲的越南風景,

從SATA女士那邊聽說,澤田先生曾説過

「總有一天會和平的,想拍攝那樣的越南」。

一邊持著貼近這樣想法的思緒,一邊按下快門。

這麼說來,澤田先生第一次跟SATA女士借的相機也是「Rolleiflex」的相機,

雖說是偶然,但有這樣淡淡的機緣也是讓我獲得鼓勵呢。

(Hayashi不負責任翻譯)

 

 

 

 
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